巻頭言「芸魂」の記事に寄せて2010.08.05
『若越習字』86号 巻頭言
芸魂を更に強く燃やして邁進すべき
土田帆山は1954年手島右卿宅にて内地留学したのち、翌年1955年には洗心書道会を結成、その年から日展に連続して入選し、1960年には当時としては早い段階で東京銀座での個展を開催するなど、内地留学後に怒涛の進行を行っている。
この時期1955年に書かれた若越習字の巻頭言「芸魂」にも、名高い絵師が殿様から地獄変の屏風を画くように命ぜられ気が狂った如く熱心に研究し、娘の命と引き換えに画き上げる、という一つの古典文学を例に取り、「書作家たらんとする者は書作家たるべく芸魂を更に強く燃やして邁進すべきではないか」という激しく燃えるような決意と書への高ぶりを見せている。
当時手島右卿氏より感銘を受け、高ぶる思いをそのまま映し出す文言となっているのであろう。