作品名:「貞誠」 [第3回独立書道展]
「若越習字」70号 巻頭言より
「士争友あれば無隻といえども令名を失わず」という語の如く世に争友ほど有難いものはない。
書道も争友をつくり展覧会に、競書会に大いに競うことによって早く上達する。かような点に於て競うべしと主張するが、どこまでも本筋を忘却しないようにしたいものである。書道の山は無限に大きい。
昭和二十九年の年頭に当り会員の皆様と共に次の語を再思再考して志を更に大きくし、決意を新たにして精進したいと念願する。
○書は心画である。大芸術である。東洋の産んだ最高美術である。故にこつこつと字を書いているばかりが書道ではない。詩を吟じ、歌を詠み、或は山野を跋渉し禅堂に坐するは固より、否時には酒をのんでも、こちらの腹一つで悉くが書道の助けとならぬものはない。・・(新講書道史より)
○書は心画なり、心画秀跋の人にあらざれば妙たることが出来ぬ。故に書は他の絵画彫刻等の芸術とは異なって皆一代一流の人物によって伝承せられて今日に至っている。これは和漢を通じて同じことであって、書の最も尊ばれる所以もこれが与って力ある。
古来達人の性霊が躍って千古に芳を伝えているものはただ書あるのみである。古来の達人が書を学んだのも実は前達人の性霊にふれんが為である。
書が人の性情を陶治し人格を向上する所以にものはその記録されたる詩歌文章にあらずして、点画の間に踊っている古来達人の性霊の感化によるからである。吾人が祖先達人の性霊にふれてその感化を希望するは当然のことである。(書道史大観より)