「天上十分月人間一半秋」論評[アートマインド 2005年5月号]
土田帆山の書は、ここにきて突然に大飛躍をした。飛躍とは書に一生を捧げて獲得した書の書き方の秘訣を、あっさりと全部捨ててしまい、人間帆山の心から叫ぶ線が金文の形を自由に描いているということなのである。体裁よく言えば、書は法に入って法を出るとはよく言うが、帆山の書は線そのものの表現に帆山が辿り着いた法の外の姿を表して、結果として文字を表しているということになる。しかも構成は全体で調和を作り総合的に自由に戯れる姿を示し、ここにはミロなどに通じる童心の鮮やかな天真爛漫さが偲ばれる。
帆山は現代書に少字数書、大字番、一字書など数少ない漢字に、その文字の意味にふさわしい象を書く世界を樹立した手島右卿の思想を受け継ぎ、この象書と呼ぶ表現の世界に活躍している。その姿は行書、草書や金文、篆書、隷書など、漢字の各体に志向を凝らしてきたが、今ここにきて、全ての拘束を解き放ち、自らの象を原始の姿に求めて表現する。(小野寺啓治氏)
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アートマインド 2005年5月号
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