土田帆山先生と私(その2)[寄稿者:佐々木徹悟様]
土田帆山先生に再び学ぶ
その後、私の転勤で先生とのご縁は薄くなりましたが、ある日突然、ご門徒の方から六字名号を書いて欲しいと頼まれてしまいました。寺の住職となって相当年数が経過していましたが、そのようなものを書くことは予想もしていませんでした。
これは先生にお習いしなければと思って、先生担当の武生市の「生涯学習講座」に2年間通い、若越書道会の免状を頂きました。そして、先生のお手本に倣って「南無阿弥陀仏」を揮毫!?しました。
ご法事や報恩講さんの時にそのお宅に赴き、床の間の軸に目をやりますが、いつも複雑な気持ちを味わいます。先生は「どんなに書がうまくても、宗教家でないものは名号を軸書きしてはいけないと聞いている」と言われていたので、私は少し関わっているので許されるかな、と思いを遣っています。
その前後より種々のご縁で先生の揮毫を忝なくし、「因縁浅からざる思い」に打たれております。
それを以下に上げますと(写真右)、拙寺門前の寺標最上段に「真宗 大谷派」と分かち書きし、中段に「西雲山」の山号、その下に大きく「光福寺」とあります。石屋さんに先生のお言葉を深く掘り込んで欲しいとお伝えして、昭和55年7月に見事完成、拙寺の格調を高くして頂きました。
写真2(写真右)には、寺の後ろにある浄苑「総墓」に、有縁のご門徒さんにお参りして頂いた時の「心得」を「三十一文字」で表してあります。それを先生に「わらやかく、あたたかい感じの書で」と所望して書いて頂いたものです。
その「うた」はご覧のとおりですが、
手を合はす 心に宿る 父母の
願いを 胸に 生きむと 誓ふ
その左に「當山第十七世釋徹悟謹詠」と分かち書きしてあります。「父母」は「ちちはは」と詠んでもらって、ご自分の「父母」や「ご先祖さん」を思うと同時に、そういうお方は今はお浄土で「おやさま」=阿弥陀様とご一緒におられる。そのお心に思いを馳せて称名念仏し、阿弥陀様の心=「あなたよし、わたしよし、みんなよし」の心で生きていきます、とご先祖様に誓い、ご挨拶するの気持ちを刻して頂きました。
写真3(右)は、その裏面で「昭和五十六年五月建之 土田帆山書」とあります。(その3につづく)