土田帆山先生と私(その3)[寄稿者:佐々木徹悟様]
写真4は先生に彫って頂いた私の揮毫印です。恥ずかしながら六字名号を書いた時に押させてもらっています。
それはまさしく雅未を湛えて、「住西雲山」=遥かに「西方浄土」を遠望する雲の漂う山のあたりに住んでいる(寺の住職)「釋徹悟」と刻して頂きました。
「昭和六十三年十月佳日帆山刻」とあります。
写真5は、我が子の部屋に飾っておくために、「随處作主」=「どんな時にも、どんな処に行っても、主体的に(自己を)生きる」と書いて頂きました。昭和65年5月の時です。
写真6は、先生の「米寿」お祝いに参上したところ、帰り際にこの書額を示され、「これ、佐々木さんにあげるよ。お宅の客間に飾っておいてもらうとぴったりの言葉だと思うので、持って帰って!」とのお言葉。私はびっくりして「何と書いてあるのですか?」とお聞きすると、書の左側を指さされました。
そこには「文曰 良師益友」とありました。
「なーるほど」。私は心の中でつぶやきました。先生は言葉を継いで、
「これは古篆書という字体、もっとやわらかい線を出したいと思ったのだが、なかなかそういう線が出なくってね・・。」
そのお言葉を聞いても、私はそれを理解する教養はなかったのですが、良く見ると、お部屋の床の間に手島右卿先生の軸が掛けられてありました。以前、先生は恩師右卿先生の軸を武生市に多く寄贈されたと新聞に出ていたが、その軸はきっと恩師の書境を示す一軸として残されていたのでしょう。
その書は一瞥して、「飄々として自由自在」で、「前人未踏の書風が春風が吹いているように、やわらかに踊っている」感じでした。
先生はその恩師の書境に比べてそう言われたのでしょうか。
先生は米寿を迎えられても、恩師の境地を拜思して、その境地にたどり着きたいと祈念しておられたのでしょう。
お祝いに行って思いがけず頂戴した書額は、拙寺の廿畳の客間の長押の上に飾ってあります。そこでは近隣諸寺の良師・益友が会し、時事・法談を交わして、それぞれの心境を深めております。
先生は今はもうおられませんが、私は先生の「贈るこころ」を何時何時までも大切にしていきたいと思っております。